三八市2015

2015/10/03

明日から、三八市が始まる。三八市はたみの町の歩いていける範囲の地元の方々が手作りで朝市をするもので、初めは雑貨の屋台が多かったけど、飲食屋台やイベントも増えた。増えたといっても、数えるほどで、目玉がいる、とか、もっと賑やかに、とか、いろいろ外からの意見もあるそうだが、私はこのままがちょうどいいと思っている。ちょうどいいというのは、この町の限界値を決めているのではなくて、きっとこれぐらいの灯火がちょうどいいんだと感じている。何にとってちょうどいいのかは、うまくいえないけど。

そんな三八市を見るのも4回目となると、毎年の違いが手にとってみえるし、たみの私たちの意識もすこしずつ変わってきていることがわかる。初めは地元の人ができないことをやってるつもりだったけど、回を重ねていくと、ほかにできる人が現れて、その役まわりをバトンタッチすることになった。そしたら、私たちは何をしたらいいのか、さらに新しい役を考える。その瞬間が楽しいし、いつも町のこと、私たちのことを気にかけてくれるあの人やあの人を驚かせたいから、はりきって徹夜する。妙にはりきってるから、ゲストも巻き込まれることもしばしば。

正直いって、4年前に出会った町の人たちも、4年分の歳をとった。この町の葬式の数は子供が生まれる数より多いし、喪服をきて出席したことは何度かある。私たちの4年分とははるかに早いスピードで歳をとっていくようすも感じる。体力だって落ちるし、介護だってあるし、通院もあるし、孫のこと、いつだれが死んでもおかしくない。もちろん、私たちもそうだけど。それでも「いま、自分たちができることをしよう」と、80のおばあちゃんも、じいちゃんも、みんな笑って、町に出て祭りの準備をする。もちろん、小さな手作りのお祭りでさえ、課題なんてたくさんある。だけど、ピンチを乗り越えていく町の人たちのパワーは本当に勇気が出るし、私もあんな大人になりたい。この町の人たちを見ることはとても尊いものを見ているようで、不思議な気持ちになる。

たみにいるとついつい、パソコンに向かったり、たみの中のことで一杯一杯になる自分がいるけど、三八市はみんなで外に出て、顔を合わせて、天気がいいこと、ごはんがおいしいこと、生きている歓びを感謝し味わう。私にとってそんな日なんです。

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